【左京区の地域情報|修学院・一乗寺】詩仙堂から始まる、文人の庭めぐり
はじめに:隠棲の地に息づく文人の美学 修学院・一乗寺エリアは、比叡山の麓に位置し、古くから都の喧騒を離れた隠棲の地として文人墨客に愛されてきました。 江戸時代初期、武士でありながら文人として生きることを選んだ石川丈山がこの地に詩仙堂を築いて以来、この界隈には静寂と美を求める庭園が点在するようになりました。 詩仙堂:石川丈山が描いた理想郷 一乗寺エリアの文人庭園めぐりは、やはり詩仙堂から始めたい。 徳川家康に仕えた武将・石川丈山が59歳で隠棲のために造営したこの山荘は、中国の三十六詩仙の肖像を掲げた「詩仙の間」からその名がつきました。 庭園の白砂と緑のコントラスト、そして時折響く「ししおどし」の音。 実はこの「ししおどし」は、鹿威しとしての実用品ではなく、丈山が風流を楽しむために設けたものだといわれています。 サツキの刈り込みが美しい初夏、紅葉に染まる秋と、四季折々の表情を見せる庭は、武から文へと転身した丈山の精神世界そのものです。 圓光寺:徳川家康ゆかりの学問所から名園へ 詩仙堂から徒歩圏内にある圓光寺は、1601年に徳川家康が国内教学の発展を図るために建立した学校が起源です。 ここには日本最古の活字といわれる「伏見版木活字」が残されており、学問と印刷文化の拠点でもありました。 「十牛之庭」と名付けられた池泉回遊式庭園は、禅の悟りの段階を表す「十牛図」に因んでいます。 書院から眺める庭園は、まるで一幅の絵画のよう。特に秋の紅葉シーズンには、苔むした地面に散り敷く紅葉が「敷紅葉」となり、訪れる人々を魅了します。 本堂前の「水琴窟」も見逃せません。竹筒に耳を当てると聞こえる清らかな音色は、まさに侘び寂びの世界です。 金福寺:芭蕉と蕪村、二人の俳聖が愛した庵 一乗寺エリアのもう一つの文人スポットが金福寺です。 この寺は松尾芭蕉が京都滞在時に立ち寄り、その後荒廃していた草庵を、与謝蕪村が師・芭蕉を慕って「芭蕉庵」として再興したという、俳諧史上重要な場所です。 高台にある芭蕉庵からは京都市街を一望でき、蕪村がこの地で句を詠んだ情景が目に浮かびます。 境内には蕪村の墓もあり、俳句を愛する人々の巡礼地となっています。 春は桜、秋は紅葉と、季節の移ろいを静かに味わえる、隠れた名園です。 曼殊院門跡:皇族ゆかりの格式と美 修学院エリアに足を延ばせば、天台宗の門跡寺院である曼殊院があります。 門跡寺院とは皇族や公家が住職を務めた寺のことで、その格式は庭園の意匠にも表れています。 小堀遠州作と伝わる枯山水庭園は、白砂に鶴島と亀島を配し、不老長寿を表現。 書院に残る狩野永徳筆とされる襖絵や、国宝の「黄不動」など、文化財の宝庫でもあります。 秋の紅葉は息を呑むほどの美しさで、特に大書院から眺める紅葉は「額縁庭園」として知られています。 終わりに:文人たちが求めた「静寂の美」 修学院・一乗寺エリアの文人庭園に共通するのは、喧騒から離れた静寂の中で、自然と対峙し、内省する空間だということです。 石川丈山、松尾芭蕉、与謝蕪村——時代を超えた文人たちが、この地に理想の世界を見出しました。 現代を生きる私たちも、スマートフォンを鞄にしまい、庭園のベンチに腰を下ろして、ただ風の音、水の音、木々のざわめきに耳を傾けてみてはいかがでしょうか。 そこには、文人たちが愛した「静けさの中の豊かさ」が、今もなお息づいているはずです。 おすすめの巡り方 叡山電鉄「一乗寺駅」下車、詩仙堂→圓光寺→金福寺→曼殊院の順に徒歩で回ることができます。 所要時間は約3〜4時間。 秋の紅葉シーズン(11月中旬〜下旬)は特に美しいですが、混雑を避けるなら新緑の5月もおすすめです。
